読書 - この先結婚するつもりもないのでセミリタイアした

限界費用ゼロ社会、ここ最近思うこと

こんにちは、槙です。

2016年の年末に読んで、非常に衝撃を受けた「限界費用ゼロ社会」。

参考:「限界費用ゼロ社会」を読んでスゴイ刺激を受けた!

あれから1年と4ヶ月が経過しましたので、今の時点の考えなどを整理しようかと…


その1、無料もしくはとても安価に提供されるサービスには2種類存在する。

一つはインターネットの理念に沿った水平・分散・協働型のもの。
例)Wikipedia、Linux、シェアリングエコノミー、ブロックチェーン、ファブラボ、オープン思考のフリーソフトなど
著者のジェレミー・リフキン氏はこちらを志向していました。

もう一つがプラットフォーム企業が自社への囲い込みのため、無料で提供するもの。
例)Google、Amazon、Facebookなど
最近思うんですが、このプラットフォーム企業というのは、グローバル経済圏のさらに上位に位置するものなんだろうなぁ、と。
冨山和彦氏がグローバル経済圏とローカル経済圏のことを比較していましたが、Amazonを除けば物流すら存在しない経済圏ですので、競争が熾烈になるのも当然ですね。
参考:有名企業からの脱出

そして後者が資本主義の枠組みの中で経済活動をしているのに対し、前者は脱・資本主義の匂いを感じさせます。

そしてこの番組。


別に欲望自体は良くも悪くもないと思うのですが、NHKのこの番組は資本主義を悪いイメージで捉えて番組作りをしていたように思います。だったら何が良いんだよ!と突っ込みたくはありましたが…

資本主義と競争は切っても切れないもので、その競争が激化する中、振り落とされる人たちが多くなるのはもはや仕方ないことなんでしょうね。
と、まさにグローバル企業でメンタルをやられた私が言ってみる(;д;)


その2、実際に水平・協働型活動に触れることができた。


ひなビタ♪東京ライブのあと、ファンが自発的にハッシュタグをつけて失敗談をツイートする流れに。


仕掛け人であるTOMOSUKEさんものってくれました。



せっかくなので私も。

この一連の活動で、倉吉でやらかしたひなビタ♪ファンの失敗談が、#倉吉でアーメウで検索すれば、一度にわかるようになったわけです。

これぞまさに水平・協働型なんだな〜、と実感することができました!

個人的にくらよしフィギュアミュージアムはこういった方向性で頑張って欲しいんですけどね…


その3、インターネットがもたらす悪い面



ツイートでは漫画村に触れましたが、この本で一番気になったのはミドル層の喪失という部分でした。

(以下引用)
デジタル革命によって特に深刻な害を被っているのが多様性である。上位1%への一極集中はあらゆる文化部門でもっとも目につく経済的特徴になっている。(中略)出版界の上位1%経済による損失で最も深刻なのは、いわゆる「ミッドリスト(ベストセラーではないが、まずまずよく売れている書籍)」の消滅である。「売れるかどうかはっきりしない」「オフビートな」作品に賭けてみる余裕がない。

確かに音楽を志すにしても、参入あるいは作品発表のハードルは一気に低くなったけど、そこからのマネタイズとなると一部の成功者を除きほとんど不可能になっています。

これはユーチューバーではもっと顕著なのかな。音楽の場合、ライブという配信では味わえない上位互換コンテンツがありますからね。


以上、つらつらと書き連ねてみましたが、私自身が面白いと感じるのは、やっぱり資本主義ではなく限界費用ゼロ社会、水平・分散・協働型のシステムですね。

あとGoogleは資本主義経済の中でやってはいるものの、なんとなくオープン志向で、水平・協働型でもあるように思えます。実際私がローカルガイドとして、日々Googleマップの充実に貢献していますし!
でもそんなところが株価がイマイチさえない原因なんでしょう(笑)
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安楽死について考えてみた

こんにちは、槙です。




ヨーロッパ在住のジャーナリストである著者が、世界各地の安楽死の現場を訪れ、実際に安楽死を施す現場に立ち会ったりします。また安楽死を迎える直前の本人から、あるいは残された家族からインタビューするなど、かなり突っ込んだ取材を行なっています。

取材を始める前は安楽死のことについてほとんど知識もなかった著者ですが、それが読み手に対して親近感を抱かせ感情移入させやすくなっています。
そして安楽死容認の国から禁止の国へと取材の旅を続けるうちに、徐々に著者の考えも変化していきます。その変化の元となる取材の旅を読み手も追体験することで、否応なく安楽死について考えさせられることになるでしょう。


もともと私が安楽死容認の立場を取っているのは、強烈な体験があったわけでも、深い考えでもありません。

ますます膨らんでいく日本の高齢者医療費を鑑みた場合に、そこを削減することは必須。であれば胃ろうなど必要とは思えない延命治療を施し、死ぬまで不便で苦しい生活を強いると同時に、高額の医療費を浪費することは即刻やめるべき!と考えていたわけです。

他にも自分自身が寝たきり生活になってしまった場合など、他人(社会)に迷惑をかけるくらいなら安楽死させて欲しいという、漠然とした思いがありました。


あと常々思っていたことですが、昨今の「生産性向上」というワードを見るにつけ、「社会全体の生産性はどうなんだ!」と思います。
つまり今後回復の見込みのない高齢者医療・介護に税金を費やすこと、ましてや今後ますます減っていく生産年齢人口を割り当てることは、社会全体の成長の足を引っ張ることになりませんか?ということです。

ま、この話は要するに姥捨山や優生思想にも通づる部分があり、かなりデリケートではありますが…

その一方で、出生前診断で異常が見つかった場合の中絶率は9割を超えるという報道もあるようです。
毎日新聞:新型出生前診断、本格実施 優生思想あおる「利益」優先
つまり現実的には、すでに命の選別はなされているとも言えるわけです。


また作家の橋田壽賀子さんが安楽死に関する本を昨年出版しました。


そして評論家の西部邁さんは病院での延命治療を嫌がり、先月自ら入水自殺したと言われています。
これについては、ちょうど「安楽死を遂げるまで」の著者である宮下洋一氏がプレジデントオンラインに安楽死の状況を交えて書いています。
プレジデントオンライン:西部邁の「自裁死」を美談にしてよいのか

宮下洋一氏はその著作や記事の中で「日本人は安楽死に向いていない」と書いています。以下引用。

 私は「日本人に安楽死は向いていない」と考えている。なぜか。それは周りに迷惑をかけないために安楽死を選ぶのだとすれば、家族からの「そろそろ患者に逝ってほしい」という空気を、患者本人が察して、死を願い出るケースも十分考えられるからである。「空気を読む」という日本的習性が、死にかかわる決断を左右するのは危険だ。それは長年、欧米で議論され、培われてきた「死の自己決定権」とは、対極の概念に行き着くものだからだ。

なるほど確かにそういう面はありそうです。さまざまな安楽死の現場に接してきた氏が言うと説得力ありますね。
「失敗の本質」を読んで以来、そのことを疑う余地は私にも無いです。
参考:「失敗の本質」、それはつまるところ日本人の性質


さて日本における安楽死を容認すべく活動している団体は1976年に「日本安楽死協会」として発足しました。
その後1983年に「日本尊厳死協会」と改称しています。

そして今、日本尊厳死協会は(筋弛緩剤投与などの)積極的安楽死を支持していません。
あくまでも回復の見込みがない場合に延命治療を望むかどうか、自分の意思がしっかりとしているうちに文書に残しておく「リビングウィル」の普及活動をメインにしているようです。

ただこれも公的な制度というわけでもなく、例えば私がこのリビングウィルを文書に残していたとしても、突然の交通事故などで意識不明の状態になると、身近な家族などがそのリビングウィルを保証してくれない限り(一人でIターン移住した私にはほとんど無理)、おそらく医師は延命治療を施すことになります。
本人(私)の意思が確認されない以上、一旦施された延命治療はやめることができません。(つД`)ノ

どうせなら自治体が年に一度行う健康診断時に、このリビングウィルを本人に確認し、公式な記録として健康保険証と紐付けで管理してくれればいいんですけどね。そうすれば上記のようなことは防げるはずなんですが…
残念ながら現時点ではそういった議論もなかなかできない状況のようです。


あと認知症になってしまった場合ですが、現時点で安楽死できる可能性があるのは精神疾患者でも安楽死できるベルギーだけのようです。
日本ではいくら議論が進んでも、そのハードルは高そう…

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「失敗の本質」、それはつまるところ日本人の性質

こんにちは、槙です。



一週間ほど前に、太平洋戦争においてなぜ日本軍は米軍に破れたのか?ということを組織論の面から研究した名著「失敗の本質」を読み終わりました。


その内容については、今更わたしがどうこう言うのもなんですが、ここ最近の出来事がいよいよもって終末的な様相?というか終わりの始まり的に感じられるので、ブログ記事にしておこうかと…


さてこの失敗の本質ですが、文庫版のあとがきに簡潔にまとめられているので引用します。

 日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということにほかならない。戦略的合理性以上に、組織内の融和と調和を重視し、その維持に多大のエネルギーと時間を投入せざるを得なかった。このため、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。
 それでは、なぜ日本軍は、組織としての環境対応に失敗したのか。逆説的ではあるが、その原因の一つは、過去の成功への「過剰適応」があげられる。過剰適応は、適応能力を締め出すのである。近代史に遅れて登場したわが国は、日露戦争をなんとか切り抜けることによって、国際社会の主要メンバーの一つとして認知されるに至った。が同時に日露戦争は、帝国陸海軍が、それぞれ「白兵銃剣主義」、「艦隊決戦主義」というパラダイムを確立するきっかけともなった。その後、第一次世界大戦という近代戦に直接的な関わりを持たなかったこともあって、これらのパラダイムは、帝國陸海軍によって過剰学習されることになったのである。


ちなみにわたし、この「過剰適応」という言葉に人工知能の機械学習における「過剰適合/過学習」を思わず連想しました。
他には日本独自の進化をしたガラケーや高機能家電などが思い浮かびますね…

そして多くの人が感じるであろうこと、上述のパラダイムを「昭和の高度経済成長」に置き換えると、そのまま日本の現状にも当てはまることに戦慄しました!

だってこの本が最初に出版されたのは1984年、実に33年前になんですよっ!

そしてそれ以来、多くの人がこの本を読み、自らが所属する組織を変革しようと試んだでしょう!


なのに今のこの状態!

シャープ、東芝に始まり、日産・スバルでの完成車検査問題。
さらに神戸製鋼に始まる一連のデータ改ざん問題。

そして2005年「談合決別宣言」をしたはずの大手ゼネコンが、リニア中央新幹線の工事において、あいも変わらず受注調整を行なっていたことが発覚…

394頁の一文、
「成長期には異常な力を発揮するが、持久戦にはほとんど敗者復活ができない。成長期には、組織的欠陥はすべてカバーされるが、衰退期にはそれが一挙に噴出してくるからである。」
そのまんまの状況じゃないですか〜・゚・(つД`)・゚・


結局、日本人は何事においても場の「空気」に染まりやすく、そして一旦その「空気」に染まってしまうと、それを破る言動を取りにくくなってしまう性質があるんでしょう。
これは島国国家で移民がほとんどおらず、有史以来ずっと皇室中心の社会が営まれてきたことと無関係ではないと思います。

インターネットの発達により、コミュニティの多様性は増えたにせよ、結局「空気」を醸し出す場が増えただけなのかもしれません。(ガンダムゲー戦場の絆とか、アイドルマスターとか、古参ファンがにわかを排斥する風潮も聞いたりしますし…)

だとすれば、組織内の同じ空気に染まった人材だけで、自己革新組織へと昇華させるのは無理と判断せざるを得ません。
ホンハイ傘下のシャープが、東証一部復帰を果たしたニュースなんかを見ると、余計にそう思います。

そういう点で、今回政府が打ち出した働き方改革の目玉、副業・兼業解禁はなかなか良いのかもしれません。
別の「空気」に触れることで、別の視座を得ることになるからです。

な・の・に、このニュース!
「副業・兼業は推奨できない」経団連会長
もう、おったまげましたよ!以下引用。
経団連の榊原会長は18日の記者会見で、「副業兼業は社員の能力開発というポジティブな側面もあるが、一方で、パフォーマンスの低下や情報漏えいのリスク、両方を合わせた総労働時間の管理のしかたなど課題が多い」と指摘しました。
そのうえで、榊原会長は「副業・兼業について各社の判断でやるのは自由だが、いろいろな課題があるので、経団連としては旗振り役をする立場にはない」と述べ、経団連として副業・兼業は推奨できないという考えを明らかにしました。


もうね…

滅びろ経団連!

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なろう小説「戦国小町苦労譚」にみる倉吉の偉人の功績

こんにちは、槙です。

今朝は本格的に雪が積もったので外出はせず、ずっと引きこもってました。

んで、ダラダラとネット巡回とかしてたわけですが、あるサイトでこんなものが出版されているのを知りました。

元は小説家になろうで連載されていたもので、農業高校に通う女子高生が、戦国時代にタイムスリップし、そこで織田信長に仕えて農地改革をするという、いかにもなろう小説らしい設定です。いわゆる内政系に分類されるものですね。

ちょっと面白そうだったので、ネットで公開されている部分を読んでみました。
参考:コミックアーススター 戦国小町苦労譚

そうしたら第6話の稲作のシーンで、倉吉博物館に紙芝居風なパネルで紹介されていた農業技術が出てくるではありませんか!
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実は上記の技術の元となっているのは、明治時代に鳥取県倉吉市(当時は小鴨村)に住んでいた農家、中井太一郎が開発したものなんです!
参考:日本型稲づくりの基本をつくった中井太一郎の中耕除草機「太一車」

彼はこれらの農法を普及させるため、全国を遊説して回ったそうです。

上記リンクの紹介文によれば「わが国稲作栽培技術の近代化は、中井の太一車を突破口としてはじめて達成されたといって、 過言でないだろう。」ということですので、本作の原作者である夾竹桃さんが、別の文献を元に創作されたとしても、その源泉は倉吉の農家であった中井太一郎から生まれていると言っても良いでしょう。

そう考えると倉吉の小中学校は本コミックを図書室に入れても良いと思いますね。

エンデの「モモ」を読んだら、時間泥棒に同情してしまった

こんにちは、槙です。

クーラーが必要な時期になって、私の生活スタイルは冬のそれとほとんど同じ状態になりました。
参考:セミリタイア生活、ここ最近の生活はこんな感じ(冬)

そして図書館に入り浸り、あれこれと乱読しているわけですが、昨日は児童文学の傑作ミヒャエル・エンデ著「モモ」を読みました。



いや〜、長い間サラリーマンやってたせいか、悪役である時間泥棒、灰色の男たちにすごくシンパシーを感じてしまいました。

主人公のモモに秘密を知られたあげく、彼女を逃してしまうという失態に際し、「11章 わるものが危機の打開に頭を絞るとき…」では、灰色の男たちが集まって打開策を話し合うのですが、それがまさしく会社の会議っぽい!すごく人間臭いんですよね〜

クライマックスに向けて、灰色の男たちの弱点なんかも晒されるわけですが、それが思った以上に酷い!そんな簡単に消えてしまうのかよ、お前たち!とその存在の儚さに悲しくなるほどです…

そして児童文学らしく、彼らはあっけなく全滅してしまうわけです。(つД`)ノ


しかし、もともとは時間を大切にしない人間たちの生活が、灰色の男たちを生むきっかけになったことを考えると、もう少し違った展開があってもいいのに…といくつか妄想してしまいました。

彼らは人間たちに対し「時間を貯蓄すれば、あとで利息つけて返すよ」と騙して、人間たちの時間を盗みとり、彼らが生きるためのエネルギーに変えるわけですが、現代の人間の生活を鑑みれば、喜んで差し出すような時間があるんじゃないですかね?

例えば、満員電車の通勤時間。
ほとんど全ての人にとってあの時間は苦痛でしかないはずです!
そういう時間であれば、返って時間泥棒にあげてしまった方が良いんじゃないかな? 何せ主観的には、電車に乗ったと思ったらもう着いてる、という状態になるわけですから。
それに時間をあげてしまえば、痴漢をすることも不可能です。ならばそれを証明することで痴漢冤罪を防ぐ方法になるかもしれません。

他にも、サービス残業の時間なんかは交渉の余地がありそうです。
灰色の男たちは優れた洗脳家でもあるので、明らかに無駄な作業(会議や役員報告のための資料作りなど)を止める方向に会社のお偉いさんたちをそそのかしてくれるのであれば、その後浮いた時間の半分くらいなら渡しても良いんじゃないでしょうか?(もちろん一生ではなくある一定の期間ですが)
結果として、徒労感のある仕事が一掃されるのであれば、悪くない取引だと思うんですけどね…


そんな風に「人間と灰色の男たちの共存共栄社会を妄想してしまいました」というのが、児童文学「モモ」を読んだ40代(元)サラリーマンの読書感想です。
プロフィール

槙

Author:槙
2014末に会社を辞めたセミリタイアおじさん。 2016年に鳥取移住してセルフリノベーションで民泊準備中。 属性はフィギュアオタク、ひなビタ♪も応援しています。『限界費用ゼロ社会』到来派。

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